Posted by makoto on 2010 年 8 月 18 日 – 6:02 PM
数日前、ある会合で、「私は、若い人たちに『君たちに明るい未来はない』と言っています。」と、堂々と言っている人がいました。
私は一瞬、「え?」と、耳を疑いました。
いい大人が、いったい、何を言っているんでしょう?
次世代が「明るい未来」となるよう、世の中を良くしていくことが、年長者の役目でしょう。
仮に、「明るい未来」が創れないなら、それは若い人の責任ではなくて、年長者の責任でしょう!
聞きながら、ちょっと腹が立ちました。
「そういうことを言う前に、率先して、地球環境を護る活動でもしたら?(もしかしたら、熱心にしていらっしゃるのかもしれませんが)」と思います。
『子どもたちが生きる未来が、明るい未来であるように願い、私たちは一生懸命頑張ります』でなくてはいけないでしょう!
彼の言葉の真意は、いったい、何だったのでしょう?
「今のままでは、世の中はきっと良くならない。よっぽど考えて、世の中全体を軌道修正していかないと、今以上にたいへんな状況になるよ」という、恐怖モチベーションなのでしょうか。
実際、彼の言うように、今の世の中は、昔に比べて、生きにくい時代なのかもしれません。
先月、まだ19歳で、人生これからという、息子と同い年の男の子が、自ら命を絶ちました。
彼には、明るい未来を思い描くことができなかったのでしょうか・・・。
七田式創始者の父・七田眞は、「幼児教育は、子どもに単に知識を教えるだけのものではなく、次世代のリーダーとなるような優れた人材を育てることを目標とするべきである」と言い、晩年、「魂の教育」という言葉を使って、そのことを繰り返し訴えました。
私も、父と一緒にこの仕事を20年以上もやってきて、幼児教育は、『子どもたちの明るい未来を創るための仕事』だと思っています。
これからも、その思いを貫いていきたいと思います。
本日は、このへんで失礼いたします。
ありがとうございました。
Posted by makoto on 2010 年 7 月 22 日 – 11:41 AM
昨夜の「イチハチ」の「ヤング親バカ芸能人No.1決定戦」、見ました。
番組では、8人の出演者の方、みんな(バラエティだから?)「親バカ」扱いされていましたが、それぞれ、ご自分のお子さんのことを語る時、普通に子煩悩なお父さんとお母さんだと思いました。
親が、わが子をひいき目に見なくて、誰が特別扱いするのでしょう。
わが子のスゴいところについて、人に話すかどうかは別にして、子どもには、しっかりほめてあげたらいいと思います。
まあ、話によっては、行き過ぎでは?と思うようなエピソードもありましたけど・・・。
でも、彼らは芸能界の方々なので、子どもはどうしたって、その影響は受けて育つわけです。
気になったのは、ゲストの方のお話に出てきた、「0~1歳は、フラッシュカードをやってる場合じゃないですよ」という意見です。
「そのころは、愛してあげるだけでいいんです」と・・・。
「ほんとうに、そうでしょうか???」
うちの子が、まだしゃべり始めの頃、台の上にあった、100枚入りのフラッシュカードのケースを手に取って、「読んで!」と、私に渡したことがあります。
私は、「目からウロコ」でした。
子どもにとっては、「フラッシュカード」も、「絵本」も同じなんだと思いました。
「絵本」を子どもに読んであげるのは、「親から子に愛を伝える時間」でもあります。
だから、「絵本」はOKだけど、「フラッシュカード」はダメというような、ものによって善し悪しがあるのではなく、その与え方が問題にされるべきです。
絵本を面倒くさそうに読んだり、不機嫌な声でカードをフラッシュしながら読み上げたりすれば、それは、子どもに愛を伝えないでしょう。
でも、お母さんやお父さんが子どもの目を見て、やさしい声で、絵本やカードを見せてあげるのは、やはり「親から子に愛を伝える時間」なのであって、副産物として、本読みが上手で、本好きの子どもが育ったり、語彙が多く、右脳の発達したお子さんに育ったりするわけです。
順番としては「愛」が先で、「愛」があるから、本でもカードでも読んであげようとするんです。
「愛」がなければ、そんな面倒なことはしません。
ただし、注意すべきことがあります。
「今は眠たい」とか、子どもの方が見るコンディションでなければ、読んだり見せたりするのはやめなくてはいけません。
それを無理やり見せるのは、マイナスです。
要は、親の働きかけに、子どもがどのような反応をするかを見て、判断すればいいんです。
「大事なことはみんな、子どもの姿から教わった」と、父もよく言っていました。
「子どもの姿をしっかり見る」のが、子育てを間違わないための鉄則なのです。
本日は、これにて失礼いたします。
ありがとうございました。
Posted by makoto on 2010 年 7 月 2 日 – 6:48 PM
今、「弁当力」という言葉が、注目されているそうですね。
先日、出版プロデューサーのYさんから、「弁当力、いいですよ~」と、お話を伺いました。
ということで、この前、「読書のすすめ」に行った時に、「弁当力」の本を見つけて来ました。
『すごい弁当力!-子どもが変わる、家族が変わる、社会が変わる-』(佐藤剛史著/五月書房)です。

この本が、発信源のようです。
既に、「エチカの鏡」などで話題になっていたようで、第2弾も出ていました。
『もっと弁当力!-作って伸びる子どもたち-』(佐藤剛史著/五月書房)

いま、「弁当の日」というのが、全国に広がりつつあるそうです。
「弁当の日」には、子どもが自分で弁当を作ってきて、その弁当を学校で食べるのだそうです。
すると子どもたちは、食べ物を粗末にしなくなったり、友だちのお弁当を見ては、「おいしそうだね」などと温かい言葉をかけ合ったりするようになるといいます。
つまり、子どもが自ら弁当を作ることで、いかに成長していくか、人を思いやれるようになれるか、親に感謝できるようになるか、自分を大切にできるようになるか、ということがテーマなのです。
この2冊には、弁当作りにまつわる心温まるエピソードが詰まっています。
もう1冊、『いのちをいただく』(内田美智子・文/諸江和美・絵/佐藤剛史・監修/西日本新聞社)という本をご紹介します。

この本の大半は絵本のような感じで、読み易く、子どもにも読み聞かせてあげたいお話です。
でも、声を出して読んでいたら、途中で読めなくなるかもしれません。
私はさっき、この本を黙読していましたが、もう少しで涙が出そうになりました。
ご一読をお勧めします。
最後に、この本の帯に書かれている言葉をご紹介します。
「私たちは食べ物を食べて生きている。生きることは食べること。すべての食べ物は命だ。肉も魚も野菜も米も、すべてが種を残そうとする生命体だ。
人が生きるということは、命を頂くこと。殺すこと。
私たちの命は、多くの命に支えられている。それを実感したときに、食べ物のありがたみが分かる。食べ物を粗末にしてはならないと分かる。」
本日はこのへんで失礼します。
ありがとうございました。
Posted by makoto on 2010 年 6 月 2 日 – 4:01 PM
昨日、子どもの参観日に行った話を書きました。
子どもの参観日に行くことのいちばんの意義は、子どもが喜ぶからです。
自分が、仕事や出張で行けない時は、母に頼んで行ってもらうことがありますが、誰も来てくれない参観日は、わびしいものだからです。
学校に行くと、うちの社員さん(パートさんが多いです)を、あちこちで見かけます。
みんな、そういう時間を大切にしているのがうれしいです。
私は、上の子の時から数えると、かれこれ13年目なので、ヌシのような顔をして、小学校に出没しています。
「七田眞のCD対談」シリーズ(携帯からは、コチラ)というのがあって、そのVol.1(携帯からは、コチラ)は、七田眞と本田健さんとの対談です。
2枚のCDに収めてあるのですが、書き起こした冊子がついているので、それを読んでいたら、いいことが書いてありました。

本田さんが子育てを始められる前に、子育ての大先輩の人たちに、「人生で最も後悔することは何ですか?」ということをインタビューして回られたことがあるそうです。
すると、ほとんどの方が、「もっと子どもと一緒にいればよかった」と仰ったのだそうです。
本田さんは、「英語を教えたらよかった」とか、「何かもっと本の読み方を教えたらよかった」とか、「躾を何とかするべきだった」とか言われると思っていたけど、ほとんどの方が「(一緒に)時間を過ごせばよかった」と仰っておられたそうです。
手のかかる幼い時は、子育ては、体力的にも精神的にも大変かもしれませんが、それは一生続くことではありません。
周りの方と、たいへんさも楽しさも、できるだけ分かち合って、かけがえのない時期を過ごしていただけたらと、私も思います。
若さが手に入れば、もう一度、一から子育てをしたいと思っていますが(保護者会の役員は、もういいです!)・・・、でも、それは叶わぬ夢、気長に、孫育てに関われる日を待ちたいと思います。
今は時々、小さな甥や姪に関わることで、子育て気分を味わっています。
本日はこのへんで失礼します。
ありがとうございました。
Posted by makoto on 2010 年 4 月 14 日 – 1:02 PM
今朝のニュースで、もう一つ注目の話題があったので、本日2つ目です!
それは、10歳の柚之介(ゆずのすけ)くんが、この度、漢検1級に合格したというニュースです。
これは最年少タイ記録で、3年ぶりの快挙だそうです。
私も昔、漢検が始まった頃、2級の問題集を買って、やっていたことがあります。
「読み」のほうはまずまずなのですが、「書き」が難しいです。
しかも、読みの配点は1問1点なのに、書きは1問2点だったりします。
それで、なかなか合格点に達することができず、未だに試験を受けたことがありません。
さて、お母さんのお話によりますと、柚之介くんが1歳のころ、百円均一のお店で売っていたウレタン製?のアルファベットや数字の型抜きパズルを与えたところ、彼は、パズルとしてではなく、その一つひとつの字の形に興味を持ったのだそうです。
このお母さんの子育てで良かったところは、子どもの様子を見て、自由に漢字が書けるようにと、百均で売っている画用紙のような帳面を買って来てあげたことです。
彼は次々に漢字を大きく書き始め、全部使い終わったら、また次の帳面へと、何冊でも彼の必要なだけ買ってあげました。
この「子どもの様子を見て、その時々に興味を持っているものを与える」というのが、すべての子どもの才能を伸ばす鉄則です。
本屋さんに行っても、絵本のコーナーは素通りで、漢字の本を買ってほしいというような幼少時代だったそうです。
彼はインタビューに答えて、「漢字道には終わりがありません」と言っていました。
柚之介くん、まだあどけない感じの残る、好青年ならぬ好少年でしたよ。
「そんな、誰も使わないような字を覚えてどうするの?」と、野暮は言わないでください。
私も高校の時、友だちに言われたことがあります。
「そんな数学、勉強してどうすんの? 社会に出てから役に立たへんで」と。
その時、私が思ったことは、「そういうこと、考えたこともなかった。役に立つとか、立たないとかじゃなくて、ただ、好きだから、やってる」
きっと、柚之介くんもそうだと思います。
純粋に漢字が好きで、もっと知りたくて、漢字の世界を探求しているんです。
漢検1級すら、彼にとってはオマケであり、単なる通過点なんだと思います。
情熱の続く限り、漢字のことを知り尽くして、「日本の漢字王」になってほしいです。
応援しています!
それでは、これで失礼します。
ありがとうございました。
Posted by makoto on 2010 年 4 月 5 日 – 8:11 PM
今日は、山口県との境にある、津和野町の太皷谷稲成神社に行ってきました。
ここは日本五大稲荷の1つとされる神社で、年に1〜2回行っています。
ちなみに、日本五大稲荷とは、伏見稲荷大社(京都)、祐徳稲荷神社(佐賀)、竹駒神社(宮城)、笠間稲荷神社(茨城)、そして、太皷谷稲成神社(島根)です。
ただし諸説あって、伏見稲荷、祐徳稲荷のほかに、豊川稲荷(愛知)、鼻顔稲荷神社(長野)、最上稲荷(岡山)、高橋稲荷神社(熊本)をあげる場合もあるようです。
別棟のしちだ教室には、数年前の新築・移転の時、神棚を祀ったのですが、これまで、本社には神棚がありませんでした。

昨年、我が社には、創業者である七田眞が他界し、私自身も初めて入院するという、大きな試練・荒波が押し寄せ、やはり本社に神様がいらっしゃらないのはいけないということで、遅まきながら、神棚を設置することになり、お社(やしろ)を買いに行ったのです。
実は先日、近くのホームセンターでも、お社を売っていたのですが、やはり由緒ある神社で購入しようと思い、2時間かけて、山陰の小京都と言われる津和野町まで行って来ました。
社務所に行って、いちばん大きなお社にしようと思い、新品を見せていただいたら、ちょっと色あせていたので、他にはないですか?とたずねると、年に1つ売れるかどうかのものだから、在庫は1つしか置いていないとのことでした。
そして、「外見より、問題は中身ですから、お社を急がれるなら、ホームセンターとか、仏具屋さんでお求めになれば…」と言われます。
それはまあ、その通りなのですが…。
で、やはり、色あせていないお社がいいので、結局、仏具屋さんに買いに行きました。
今週中に、社内に神棚を設置して、宮司さんに祝詞を上げていただくことになっています。
本日はこのへんで失礼します。
ありがとうございました。