Posted by makoto on 2010 年 5 月 5 日 – 9:00 AM
学校時代、成績が悪く、後に天才的に有名になった人物というのは、決して愚かな少年ではなかったという論が、そこには展開してあったのである。
ナポレオンは、在学中数学ができただけで、他の学科はみなできなかった。
ニュートンは、小学校時代いつでもビリであった。
ドイツの詩人ハイネは、小学校の成績は極めて劣等であった。
バイロンも最劣等生であった。
このような例は枚挙に暇がない。
では、このように、後に天才と称えられるほどの人々が、なぜ小学校時代、あるいはそれより後の学校生活の間に成績が悪かったのか。
それは、その人たちが「縦に賢い性質の人々」であったから、とその本に説明してあったのである。
縦に賢かったというのは、平均的に横にすべてできる子は賢く、そのことだけに集中し、興味がまったく別のことにある子どもは、学課に興味を持たない。
従って、学課の成績が悪くなる、というのである。
これは、十分納得できる説明であった。
教師がその子のそういう性格を見抜けない場合、その子は劣等児扱いにされる。
その子は周囲が考えるような眞の鈍物でなく、鈍物のように見えていただけだと、その本は明快に説明していた。
もちろん、真の鈍物もいる。しかし、真の鈍物は一生鈍物で終わる、としてあった。
私の関心は、天才を育てるといったことにはなく、「真の鈍物という子どもが本当にいるのだろうか」ということにあったのだ。
「真の鈍物といわれるような子を救う方法は本当にないのか」ということに、私の疑問はあったのである。
その解答が、「人生初期の早い教育によって救える」ということであってほしかったのである。
早教育は、しばしば天才教育にすり替えられる。
早教育は、必ずしも天才を生みださない。
普通の人間で終わってしまう。
だから、無駄なことだと否定されてしまう。
だが、早教育は本来、「学校に入って、困らない子どもを育てるためのもの」なのである。
(完)
いかがでしたでしょうか。
特別企画ということで、6日連続して、「七田眞の早教育への思い」の原点をお伝えしてまいりましたが、これにて終了させていただきます。
ありがとうございました。
Posted by makoto on 2010 年 5 月 4 日 – 9:00 AM
議論が白熱してきた。
すべての人が反対論者だったので、私は一人で応戦しなければならなかった。
「先生は、早教育はすべての子どもを神経症にすると言われるのですか」
「そうは言っていないよ。そういう例もあるということだ」
「だったら、よい例もあるということですね」
「あるかもしれない。あるだろう。その場合、それはその子に、その素質があったということなのだろう」
そうでないことを180年前の昔、カール・ビッテが証明したのだ、と私は言った。
「それは一例だろう。一例では証明にならんよ。人間にはいろいろなケースがある。科学はすべての例に当てはまらないといけないとする」
「では先生、薬はすべての人に効くのですか」
「薬と人間は違う。人間の話で行こう。世に天才的な業績を果たした例は多い。小さい頃、愚かな子だといわれていて、大きくなって大成した天才たちの例はどうなのかね。早教育は果たして必要なのかね」
私は詰まってしまった。
私は研究が足りないと思った。
私は天才を育てたいと思っているのではなかった。
「5分前に教えたことを覚えておられないような子どもをつくらないために、早くから教育を考えるべきだ」というのが、私の論点であったはずである。
いつの間にか、それが天才教育論にすり変わっていた。
子どもは、何もせずに遊ばせておいても、大きくなれば同じだという。
これは本当だろうか。
論点をここに求めるべきだった。
私は文献探しを続けた。
この頃から、私の研究は熱を帯びてきた。
多くの人たちの前で自説を述べて、自説の正しさを信じながら、みんなを納得させる理論を展開させることができなかったのである。
何よりもまず、自分を納得させる資料がほしいと思った。
するとまた、小さな幸運に恵まれた。
私はこの後、再三このような幸運に恵まれることになる。
何かをつきつめて研究しようとすると、不思議なことに、今、最も必要とする文献に、思いもかけない所で出会うという経験をするようになるのである。
ある日、私は隣の浜田市に何かの用があって出かけた。
用が終わって、ふと古本屋を見かけ立ち寄った。
すると、目に着いた本があった。
『子どもを賢くする為に』という本である。
著者は医学博士、三田谷啓。大正13年刊の古書である。
手にとって読んでみると、先日話題になった話の論拠となる恰好の説明が、そこに書いてあった。
(つづく)
この続きは、また明日。
ありがとうございました。?
Posted by makoto on 2010 年 5 月 3 日 – 9:00 AM
さらに別の書で、次の記事にぶつかった。
―松下村塾で名高い吉田松陰を教えた玉木文之進は、幼児たちに素読を厳しく仕込む師として知られていた。
この厳しい詰め込みを見て、
「小さい時にそのように詰め込むと、自由な発想が失われてしまう。子どもはのびのびと育てないと委縮してしまう」
と評する人たちがいると知らされた玉木文之進は言った。
「そのような人たちは、馬に乗れぬ人じゃ。名馬を調教できぬ人たちじゃ」
馬でさえも、小さい頃の適切なトレーニングがないと、秀れた馬に育たないのである。
私の心は、渡利文庫の中に、これらの文献を見つけて躍った。
ある日、渡利先生に、私の早教育に関する研究発表を聞いてもらいたい、と願いでた。
先生は快く、ある夕べを私の研究発表の夕べとして設定してくださり、若者たちを集めて、私の発表を開いてくださった。
私はカール・ビッテの事例から始め、貝原益軒の言葉や、吉田松陰の例を引いて、早教育の大切さを説いた。
ところがどうであろう。
カール・ビッテが180年前に、ある研究会で自説を発表した時、出席者の皆から反対されたように、私はすべての人に反対されたのである。
最初に、先生が一言言われた。
「私は早教育というのは反対だね」
「なぜですか?」
「早くからの詰め込みは、子どもを神経症にしてしまうよ」
さすがに医学的な言葉が出てきた。
「そのような事例があるのですか」
「あるよ」
ある両親が、子どもに小さい時から教え込んだ結果、子どもは知的に多いに進んだが、神経症になり、医師から、
「知的なことを教えるのはやめなさい。今日からは、子どもにふさわしい童話をゆっくり聞かせてあげなさい。」
とアドバイスされて、その助言に従ったら、子どもが恢復したと事例を話された。
私は出鼻を砕かれた感じだった。
が、ひるまなかった。
「それって、きっとやり方が間違っていたんだと思います。カール・ビッテや吉田松陰の例はどうなんですか」
「それは特殊な例だと思うな」
話を聞いていた一人の若者が発言した。
「そうだよ。君の例は古いよ」
「真実に新しい、古いはないよ」
「あるさ。真実は時代とともに変わるものさ」
(つづく)
この続きは、また明日。
ありがとうございました。
Posted by makoto on 2010 年 5 月 2 日 – 9:00 AM
私は長い間の疑問に答えを得て、狂喜した。
幸運は続いた。
江津市内に渡利医院というのがある。
ここの渡利先生は、江津一の文化人だった。
合唱団を作って、コーラスの指導をされたり、院内の一室で時折、文化サークルを開いて、若者たちに自由な研究を発表させたりしておられた。
私は一人の若者に誘われて、ここに出入りすることを覚えたのである。
そのうち、先生が1,000冊を超える蔵書を持っておられることを知った。
うれしいことに、先生は私に自由にこの書庫に出入りしてよいという許可を与えてくださったのだ。
私は、この書庫を思う存分活用させてもらった。
初めは、本が雑然と棚に納められていたので、それらの本を、医学、心理学、一般科学、外国文学、日本文学、評論、詩・・・というように分類することを決めた。
きれいに分類された書庫を見て、先生は非常に満足してくださった。
私は、この渡利文庫の中で、早教育に関する本、心理学に関する本に特に興味を持った。
1,000冊の本の中には、今まで見つけようと思っても見つけられなかった、早教育に関する記事を見つけることができたのである。
例えば、次のような例である。
『和俗童子訓』という本があった。
これは、1710年頃、貝原益軒が著した本である。
貝原益軒は、「わが国教育界の祖」と呼ばれ、この書は日本最初の代表的な教育書と見なされている。
この書は、巻の一、二が総論、巻の三は随年教法、読書法、巻の四は手習法、巻の五が教女子法から成っている。
その巻の一に、次の記載があった。
―およそ小児は、早くから教ゆると、左右の人をえらぶと、これ古人の子を育つる良法なり、必ずこれを法とすべし・・・。
彼は300年も前に、次のように言っていたのである。
―およそ小児の教育は早くすべし。
しかるに凡俗の知なき人は、
「小児を早く教ゆれば、気くじけてあしく、ただその心にまかせておくべし、後に知恵出てくれば、ひとりよくなる」
という。
これ、必ず愚かなる人のいう事なり。
この言、大いなる妨げなり・・・。
この記事を読んだ時、私は手を叩いて喜んだ。
(つづく)
この続きは、また明日。
ありがとうございました。
Posted by makoto on 2010 年 5 月 1 日 – 9:00 AM
生まれた時の人間の能力が育つ可能能力には、逓減(ていげん)の法則が働いていて、生まれた時から理想的に教育すれば、100度の能力を備えた人になるが、5歳からでは80度、10歳からでは60度の能力を備えた人にしか育たない。
教育を始めることが遅れるほど、子どもの秀れた可能能力の実現する割合が少なくなる。
これが、子どもの可能能力の逓減の法則というものであるとあって、生まれてすぐ教育を始め、子どもを天才的に育てた実例として、ドイツの片田舎、ロヒョウという村の牧師カール・ビッテの子育ての例が紹介してあったのである。
牧師は、生まれたわが子に、生まれてすぐ言葉を教える教育を開始し、その子は5歳で3万語をやすやすと覚え、そのことが他の言語を覚えやすくし、6歳でフランス語を習い始め、1年でフランス語を自由に読み書きできるようになった。
続いて、イタリア語を6か月で習得し、ラテン語を9か月、英語を3か月、ギリシャ語を6か月で覚えた。
8歳の時には、それらの国の文豪の本を自由に読むことができ、20歳の青年も及ばないくらいの知力と学力を備え、9歳で大学に入学した。
13歳の年には哲学博士の学位を得たのである。
子どもの能力を枯死させないで、早くから適切な教育をすると、子どもは高い質を育て、こういう勢いで伸びる。
牧師はもちろん、子どもの心をとてもよく育てた上で、このような教育をしたのである。
この本に書かれていた情報は、私の眼には非常に新鮮に映った。
私は、くり返しこの本を読んだ。
教育について、古来から人はどういう風に考えてきたのだろう。
それを知るには、ギリシャの歴史から見るのがよい。
ギリシャの歴史を見ると、アテネは天才星のごとしという有様である。
ところが、このギリシャの首都アテネの人々は、驚くほどわずかであった。
全盛期でも50万人くらいのもので、その内の5分の4は奴隷であった。
この小都市に、驚くほどの天才が輩出した。
これはなぜか。
実はギリシャには、早期教育の習慣があったからである。
ところが、時代が下がるに従って、早期教育は子どもの心身の健康を損なうという考えが広がっていったのである。
それは、方法を間違え、子どもの頭に知識を詰め込もうとするからである。
「教育」とは、本来持っている能力を引き出すという意味である。
お遊びみたいな取り組みで、とどめていけばよいのである。
(つづく)
この続きは、また明日。
ありがとうございました。
Posted by makoto on 2010 年 4 月 30 日 – 9:51 AM
先日、1998年に出版された豆本、『生きて来た道・第二集』(本心庵刊/七田眞著)を、久しぶりに読んでいたら、早教育理論との出会いや、早教育観について書かれている箇所を見つけました。

というわけで、今日から5月5日までの6日間、ゴールデンウィーク特別企画として、上記書籍より抜粋して、「七田眞の生きて来た道」をご紹介します!
明日からは、毎朝9時にアップしていきますので、どうぞお楽しみに。
それでは、始めます。
―ある日、思いがけないことがあった。
私が行きつけ始めた貸本屋の、一番高い棚の、右端の方に『英才教育の理論と実際』という本が、ふと私の眼をひいたのである。
箱(ケース)入りの本であった。
それが、ぽつんと忘れられたように、そこにあった。
手にとって読んでいるうちに、足ががくがく震えるような感動を覚えた。
長い間、疑問に思っていた、人間の才能や素質に関する解答が、そこに書かれていたからである。
それは、大正の終わり頃に出された古い本で、人間の能力の秘密が、そこに書き記されていた。
私にはそれが、直感で真実であることが分かった。
それは、大きな出会いであった。
私が病気をして故郷に帰り、その貸本屋に入ったからこそ、私の一生を決める重大事に出会えたのである。
人生はまさに、「禍福吉凶はあざなえる縄のごとし」であった。
私は職を失い、病気を拾ったおかげで、私の人生に大きな影響を与える大きな幸運を拾ったのだ。
その本を譲ってくれないかと店主に頼むと、誰も読まない本だから、50円で譲るという。
私は喜んで、それだけの金額を払い、その本を手に入れた。
私はこの本によって、幼児の持つ能力に目が開かれた。
この本には、人間は生まれた時に最大であって、それが大きく育つ可能能力は年とともに減じていくと書いてあったのである。
(つづく)
この続きは、また明日。
ありがとうございました。