【目からウロコ!】七田式教育の代表 七田厚が語る幼児教育「その時、父は…」第14回 七田 厚
今となっては、中学生でも禁止されているアルバイトですが、私が小学生の時には禁止されていなくて、4年生くらいの時、新聞配達のアルバイトをしていました。
と言っても、朝刊ではなく、「江津タイムズ」というミニコミ紙を週1回、学校から帰ってから10軒ぐらいに配っていたのです。
実は、その「江津タイムズ」には、「0歳教育」と題した父(七田眞:七田式教育創始者*)のコラムが連載されていまして、幼児教育に関する父の初めての著書は、そのコラムをまとめたものでした。
その購読料は、たしか月4回発行で200円。
私のアルバイト料は1軒につき50円、10軒で500円だったと思います。
しばらくして、父は何と言ったでしょう?
仕事の大変さを経験する
「新聞をとってくれる家を増やしてみないか?
10軒増えて、20軒になったら、アルバイト料は1000円になるし、
1軒増やすごとに50円、別にあげるから、それも臨時収入になるし…」
と言ったのです。
新規開拓営業というわけですが、私は近所の家々を訪ねて歩いたり、少し足を延ばして友達の家へ行き、お母さんにお願いしたりしました。
その結果、配達先が30軒くらいになり、小学生にしては、なかなかよいアルバイト収入を得ることができるようになったのですが、
友達と遊びたくても、週に1回は新聞配達を優先しなくてはいけないという状況になりました。
特に大変だったのが集金です。
月の最後には、一軒一軒、200円ずつ集金をして歩かなくてはいけないのですが、30軒もあると、お留守の家もあり、集金がすべて終わるまで、何度も、「ごめんくださ~い!」と訪ねて行かなくてはいけませんでした。
ばらまかれた数十枚の百円玉
そして、一度だけ、集金をして歩いて帰る途中、お金を入れていた封筒に穴が開いて、路上にお金をばらまいてしまったことがありました。
封筒の中はほとんど百円玉で、きっと5千円くらい入っていたと思います。
歩道にばらまかれた硬貨は、コロコロとあちこちに転がっていきました。
左側は車道で、車が来ないうちにサッと拾えばよかったのですが、右側にはガードレールがあり、その向こうは、土地が1m以上低くなっていて、いちじくの木などがある草むらでした。
そこにも何枚か、百円玉が落ちていったので、草むらに下りて探したのですが、結局、2~3枚は見つけることができませんでした。
その分はバイト料から差し引かれるわけですが、お金を扱うため、そういうリスクもありました。
その後、中学受験をすることになり、結局2年ぐらいでやめたのですが、この新聞配達の経験を通して学んだことがいろいろあり、良い経験をさせてもらいました。
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七田眞:七田式教育創始者
現在では、世界14か国に広がる「七田式教育」創始者。著書は200冊を超える。