【目からウロコ!】七田式教育の代表 七田厚が語る幼児教育「その時、父は…」第6回 七田 厚

子供の運動能力

父(七田眞:七田式教育創始者*)は、ある時、体操の選手としてオリンピックに出場したことのある女性の著書を読みました。

彼女の夫もオリンピックの体操の選手で、生まれた長女には体操の特訓をして育てたのだそうです。

その結果、長女は運動能力抜群の子に育ったのですが、親が二人ともオリンピックの選手だったので、その素質が受け継がれたものと考えていました。

ところが、次女を育てる時には仕事が忙しく、お手伝いさんに育児をすっかり任せていました。次女が4歳の時、夫妻は、彼女が椅子からとび降りるのを怖がることを知って愕然とします。その後、にわかに運動の特訓を始めたけれど、もうとり返せなかったと書かれていました。

その時、父はどうしたでしょう?

ゴールは父の腕の中

その日から、私達3人の子供に、「今日から楽しいことをするよ~。来てごらん!」と言って、毎日、運動の特訓を始めたのです。私が5歳半、妹が2歳半、弟が1歳の時のことでした。

特訓と言っても、父から3メートル離れた先に私達を立たせ、一人ずつ、「よーい、ドン!」と言って、父を目がけて走らせるだけです。ゴールは父の腕の中で、父は走って来る子ども達をしっかり受け止め、抱きしめます。

運動能力を高めるには、まず走ることからと考えたんでしょうね。しかも、このやり方なら、5歳の私も、父の胸にとび込んで行っても恥ずかしくありません。自然な形でスキンシップをはかることもできて、一石二鳥だったのです。

一週間経つと、走る距離を3メートル50センチにしました。一週間ごとに、そうやって50センチずつ増やしていき、最終的には30メートルを走るようになるまで距離を伸ばしていったのですが、その結果はどうだったでしょう?

足が速くなるには?

この取り組みを始めた時、既に5歳を過ぎていた私の足は、それ以後も、残念ながら速くなりませんでした。

しかし、当時、まだ2歳と1歳だった下の二人は、とても足が速くなったのです。彼らは、小・中学生の時、運動会では常にリレーの選手に選ばれ、陸上競技大会でも、短距離走の選手として出場していました。

私は、短距離は鈍足でしたが、中学校の時、駅伝の補欠選手に選ばれたりして、長距離は得意だったので、あの取り組みが全く無駄ではなかったのかなと思っています。

ちなみに父は、小学生時代、運動会の百メートル競走ではいつもビリだったそうです。

このことは、子供の素質や才能は、遺伝的素質には関係はなく、早い時期に良い環境を与えるほどよく育ち、スタートが遅いと、0歳から遠ざかるほど育てるのが難しくなるということを示しており、それは、学習面だけでなく、運動面においても当てはまることだったのです。

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七田眞:七田式教育創始者
現在では、世界14か国に広がる「七田式教育」創始者。著書は200冊を超える。