1歳~年長まで現在の七田式徳島教室に通室。レッスンの他、『七田式プリントA~C』、『国旗カード』にも取り組みました。
東京芸術大学作曲学科、同大学院を卒業後、作曲家、演奏家の他東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」の指揮をはじめ、多方面で活躍中。
七田式を実践したお子さまへの実績・成果集
1歳~年長まで現在の七田式徳島教室に通室。レッスンの他、『七田式プリントA~C』、『国旗カード』にも取り組みました。
東京芸術大学作曲学科、同大学院を卒業後、作曲家、演奏家の他東宝ミュージカル「レ・ミゼラブル」の指揮をはじめ、多方面で活躍中。
私自身クラシックが好きで、胎教として聞き、生後もいつもかけていました。
「親の働きかけで子供の能力は何倍にも伸びる」ということを知り、のちに七田式に出会いました。もともと我流でフラッシュカードをしていましたが、それではだめだと思い七田式教室に通い始めました。
当時、教室では、フラッシュカードの他、パズルや絵本読み、音楽鑑賞、百人一首などに取り組みました。
家庭でも、1日30分ほどの取り組みを毎日行いました。
本を切り抜いてフラッシュカードを作って取り組んだり、テレビや椅子など家の中にあるものに名前を書いたカードを貼って見たりしていました。
「頭のご飯を食べよう」が取り組みを始める合言葉で、フラッシュカードに取り組むときは「右脳開け、開け」と念じながら行っていました。
1歳2か月ごろに喋れるようになりましたが、喋れると同時に文字も読めるようになったという感じでした。2歳頃には自分で絵本も読んでいました。
音楽のコンサートにもよく連れて行きましたが、亮平は必ずスコア(総譜)を買って、全てのパートを追いかけながら聞くんです。そのうち、楽譜を見ただけで「悲しい」「暗い」「ここは好き!」などと言うようになり、実際に聞いてみると本当にその通りでした。
「もともと音楽の才能があった」などと言われますが、私は七田式の取り組みをやったおかげだと思っています。
就学後はピアノの練習が忙しく、勉強はテスト前だけでしたが、高校では進学校に入ることができ、国立の音楽大学に合格できました。
将来は、社会に貢献でき、必要とされる人に、愛のある人になって欲しいです。そして、自分の夢を追いかけてくれればと思います。